今日は、昨日のレッスンの様子から、お伝えしたいと思います。
Aさんは、バイオリンの伴奏の本番を来週に控えていらっしゃいます。
先日のホールでのリハーサルで、バイオリンの方に、シューマンの曲について、もっと詩的に演奏してほしい、というような内容の要求をされたとのことでした。
そこで、Aさんは、巨匠の動画を見て研究をされたり、ルバート(テンポを自由に揺らすこと)や強弱の付け方、歌うように弾く、というようなことを心がけようとされていました。
でも、私のところに数年前より通われているAさんは、本当はそういうことではないのではないか、ということにも、ちゃんと気付いていらっしゃいました。
Aさんは、大学院でシューマンを研究されていたほどシューマンを愛していて、詩的に演奏しようと、常に心がけていらっしゃいます。
それなのに、もっと詩的に、と要求されたということは、実は、その、詩的に演奏したい、もっと歌わせたい、ここはもっと繊細な音で響かせたい、等々の思い=「思考」が、雑念となって、逆に、そのイメージ通りの音が表現できない、という悪循環になってしまっていたのです。
「〜したい」「こういう風に弾きたい」「こうは弾いてはいけない」「こう弾くべきではない」という「思考」は、知らず知らずのうちに「力み」を生み出します。
よく知っている曲や思い入れのある曲だと、なんだかいつもより上手く弾けない、いつもより上手く表現できない、という状況に出会ったり、そういう話を耳にしたりします。
それは、「思い」によって生み出される「力み」が原因になっているもしれません。
「力み」とは、身体のどこかに不必要な力が入るということで、演奏でもスポーツでも、生きることそのものにおいても、本来は無くていいもの、無い方がいいもの
だと思っています。
しかし、いくら頭では分かっていても、生きていると、「思考」はいとも簡単に私たちを支配して、インスピレーションから沸き起こる「真の選択」の邪魔をしてしまいます。
Aさんは、レッスンの中で、自分はこう弾きたい、こうすべきではない、と思っている、ということに気付かれ、それをどんどん手放し解放していくことで、見事に詩的で情緒溢れる、素敵なシューマンに変化していかれました。
メロディが埋もれてしまっているからもっと響かせなければならないとか、ここは内声だからもっと音量を落とさなければならないとか、もっと自然に間を取りたい、などの様々な欲求を全て排除し、とことん緩んで、一音ずつ、ただ投げて、「感じていく」だけです。
一音ずつ、あれこれと試行錯誤して「作っていく」という作業とは全く別のアプローチ。
それには、「縦読み」をすることにコツがあります。
「縦読み」とは、今から弾く縦一列の音に最大限の意識を向けて演奏をするということで、このプログでお伝えしていく「全ての問題を解決させるたった一つのこと」における重要な一要素です。
震災以降、よく耳にする「今ここ」ということ、そのものです。
人生も演奏も、「今ここ」が真理だと、心から感じています。
このプログでお伝えしていくことの、核を成している部分です。
奏法を研究している過程で、そのことに気付き、全てが繋がっている!と確信した瞬間でした。
レッスンする度に、私の中に生い茂る「今ここ」の真理の樹の根を、生徒さんの存在によって更に成長させられ、どんな風雨にも耐え得る揺るがないものにしてくださっています。
生徒さんあってのこの奏法だと、本当にいつも感謝しています。